六等星の瞬き

ひっそりと本(児童書)について書きます。たまに雑記も。

『マノン・レスコー』(プレヴォ)あらすじと感想

マノン・レスコー』、プレヴォ。フランスの恋愛悲劇。数多くの舞台や映像作品があり、プッチーニの歌劇の吹奏楽アレンジは、コンクールの自由曲候補に挙がることも多いのでご存知の方も多いかもしれません。その原作についてあらすじや感想をまとめたいと思います。素直な目線での感想、実際に読んだうえでのあらすじということを意識して書いています。

 

私が読んだのは光文社古典新訳文庫。訳者は野崎歓さん。2017年新訳なので新しいですね。

マノン・レスコー (光文社古典新訳文庫)

 あらすじ

原題騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語7巻からなる自伝的小説集『ある貴族の回想と冒険』第7巻。1731年刊行。

光文社古典新訳文庫版↓

将来を嘱望された良家の子弟デ・グリュは、街で出会った美少女マノンに心奪われ、大都市パリへの駆け落ちを決意する。夫婦同然の新たな生活は愛に満ちていたが、マノンが他の男と通じていると知り……引き離されるたびに愛を確かめあいながらも、破滅の道を歩んでしまう二人を描いた不滅の恋愛悲劇

新潮文庫版だとこう↓ 随分ニュアンスが違います。読み比べも楽しそうです。

自分を死ぬほど愛している純情な貴公子デ・グリュに、賭博、詐欺などの破廉恥な罪を重ねさせながら、自らは不貞と浪費のかぎりを尽し、しかもなお、汚れを知らぬ少女のように可憐な娼婦マノン。

男を破滅させる魔性の女、マノン。そんなファムファタル文学の嚆矢ともいわれる本作。主人公を破滅させる娼婦というイメージから、マノンはあくどい毒婦的な女性を想像していました。でも自分の読後の印象は違って、「本作は本当に破滅なのか?」とも思いました。

場面ごとの感想を交えつつ書いていきます。全体の流れとしてはマノンとの出逢い→逃避行→アメリ。劇的なラストは実はアメリカの荒野が舞台なんです。

出逢いと逃避行(第一部)

主人公は貴族の子弟であるデ・グリュ。この人が美少女のマノンに出逢って一目惚れ、度重なるスキャンダルを起こします。マノンは平民で修道女になるためアミアン(主人公のいた街)に来ていたのです。主人公は父や親友の忠告に耳を貸さず、駆け落ちを実行、当然大騒ぎになります。マノンを愛妾にしたい資産家老人や、マノンの兄等、周囲の障害が二人の前に立ちはだかります。

道中、脱獄やら殺人やら泥棒やら詐欺まがいのことに手を染めていく主人公。巻き込まれて無関係の人(庶民)が幾人か死ぬけどあまり糾弾されません。主人公は貴族的な魅力を持っているから色んな人に助けてもらえるのです。「お見受けしたところ良い家柄の人だから」ということで資金援助や便宜を図られることがしばしば。近代以前の庶民は人生がハードですよね…。

「生まれが何よりもものを言う」ということを実感しつつ、貴族の主人公もある種の生きにくさがあると感じました。賭博や資金援助という、労働によって得た金でないものを遣って生活せざるを得ないこと。それは「貴族=働かない者」という考えが根強いことを物語っています。貴族の労働概念も、働ける場もない。それは自分の労働で資金を用立てて愛する人と暮らすという自由はありえないことを指します。そこだけは主人公に対して「可哀そう」と思いました。

二人(特に主人公)の行いは読者の目から見ると「何でそっちの方向に行くねん!」と突っ込みどころ満載。まあこの情熱が恋の盲目的な部分なのでしょう。個人的に悲恋よりも主人公が次にどんな暴走をするのか気になった第一部です。

アメリカへ(第二部)

逮捕された主人公とマノン。主人公は父親の尽力ですぐに釈放されるが、マノンは植民地アメリカに流刑されることに。アメリカに売春婦を送る一行と主人公は道中をともにします。主人公、執念が凄いです。

アメリカに着いてからも苦難はありますが、現地の総督に気に入られて穏やかな生活を送る二人。「悲劇」ということを知って読んでいても、「このままハッピーエンドなのか」と思ってしまいました。

ところがそこからの転落が凄い!劇的!

「神様の罰は悪徳の道を進んでいるあいだは忍耐強く我慢されていて、美徳に戻りかけたまさにそのとき、もっとも厳しい罰が下されるのだ。」

主人公の語り中の一文です。二人は結婚していませんが、周囲からは夫婦と思われています。満ち足りた生活の中で主人公はそこを気にしてしまったのです。司祭に結婚を認めてもらって名実ともに道徳的な生活を送ろうとします。

しかし、現地の司政官の「結婚していないのなら自分の妻にしてもいいよね!」という発想により、またしても二人は引き裂かれる運命に。時代と植民地という土地柄、女性は文字通り財産ですよね…。主人公は決闘も辞さない覚悟。決闘によって相手を殺したと思いこんだ主人公はマノンを連れ、荒野を逃避行しながらイギリス領を目指します。

当時は未開発の荒野。恐ろしい獣や野蛮人(そういう表記なのでそのまま)に襲われる危険が存分にあります。マノンは過酷な旅の負担により衰弱していきます。

完全に道徳的に」、そんなささやかな思いつきが、二人に永遠の別れをもたらします。現代の日本人からすると、子供ではない二人が自分たちで生計を立てて暮らしているのだから問題ではないように思いますが、当時は宗教によって認められた婚姻関係は重要だったのでしょう。

マノンは衰弱死、あまりにあっけなく儚かった。

二人にあまり感情移入せずに読んでいた私ですが、マノンの死から荒野に埋葬するシーンでは、心を動かされました。なんとも言い難い虚しい感情になりました…。

読後の雑感

この話は破滅の悲劇なのか?

第二部の劇的なラストのあと、主人公目線のエピローグがあります。主人公は捜索隊に救出され、アメリカまで追ってきた親友に促されて故郷に帰ります。主人公の述懐で、この結末のことを「取るに足らない」と表現しているのです。確かに私も中盤からクライマックスまでの展開からすると、とても乾いたものに思えました。突如、何もかも清算されてしまった感じがありました。

そこで思い浮かんだのは埋葬の場面の「わが心の偶像をそこに安置しました」という一文。主人公にとってマノンはどこまで行っても偶像にとどまるのではないかと感じました。親友との美しい友情により、主人公はあるべき美徳に戻っていくでしょう。マノンとの出来事は若き日の白昼夢に過ぎないのかもしれません。野暮な感想かもしれないけど「マノンの人生とは」と思ってしまいましたね。

破滅の道を歩んだ二人というけれど、破滅したのはマノンだけなのではないでしょうか。主人公は家柄も後ろ盾もあるので、すぐに元の人生に戻れるでしょう。

この話、男女で感想に違いが出そうです。魔性の女に引きずり込まれるのは男性の夢なのでしょうか。でも私はマノンが引きずり込んだ、とは感じなかったですね。
ともあれ主人公の述懐形式の独特な感性や波乱の展開が面白かったです。

マノンは魔性の女なのか?

貧乏への恐怖、享楽的で派手好み、少し流されやすいだけで、少なくとも主人公に悪事を強要したりはせず、むしろ主人公が暴走気味に感じました。無垢な少女のような無自覚さが魔性の女かな?いっそ清々しささえ感じます。ただその実在性は薄く、マノンの印象はどこかぼんやりしています。

例えば姿形の美しさは絶賛されているが、具体的なところは何一つ書かれていません。髪や目の色、顔立ち、服装…。私は小説の細かな美貌描写が好きなので今か今かと思っていたのですが、最後までなかったですね。

その点は解説で触れられていて、あえてマノン像をぼかすことで時代や国が違う読者でもそれぞれのマノンを思い浮かべることができるそう。

ヌーヴェルオルレアン

アメリカの地名として出てきたヌーヴェルオルレアン。フランス語で新しいオルレアン。聞きなれない地名なので調べて見ると現在のニューオリンズだそう。なるほど!たったそれだけのことなのですが、判明したときは謎解きめいた気持ちよさがありました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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