六等星の瞬き

ひっそりと本(児童書)について書きます。たまに雑記も。

【考察】『NO.6』 と 『BANANA FISH』

2018年7月から、テレビアニメ放送がされている『BANANA FISH』。見たところNO.6 は バナナフィッシュから、かなりの影響を受けていますね。でもメイン2人の関係性は似てるようで全然違うと感じました。『NO.6』のオマージュ元作品ということを見かけたので、作品名は知っていたんですよね。「読んでみようかな」と思っているうちにアニメ化が決定、放映開始された次第です。

そもそもオマージュ元との情報の出典はどこでしょう?「あさのあつこのマンガ大好き!」という本に、それらしいことが書いてありました。

 

 

NO.6(あさのあつこ講談社)2003~2011 小説・児童書
BANANA FISH吉田秋生小学館)1985~1994 少女漫画

そこで両作品を勝手に考察してみたいと思います。NO.6は原作全9巻と外伝読破BANANA FISH原作未読です。私は基本的に原作を最大限に尊重して楽しみたいという考えなので原作を知らずに語るのはおこがましい&ネタバレ防止のため、印象程度でとどめておきます。

また自分の作品の出会いがNO.6 → BANANA FISHの順番で、前者に関しては小学生のころからの思い入れがあります。ここが児童書ブログなのも相まって、NO.6寄りの見方になっています。

片方作品だけでもご存知の前提で書いている記事なので、作品あらすじは省略です。本筋ネタバレ無しのつもりですが、ちょっと怪しいのでご注意ください。なおBANANA FISH をバナナ、NO.6 を6と省略表記することがあります。

あさのあつこのマンガ大好き!(東京書籍)

まず、一読して感じたことは「あさのさん、本当に漫画に詳しいなあ」ということです。少年・少女、古今を問わず漫画作品についてマニアックに語る内容でした。

漫画全般から受けた影響と創作について

たくさんのマンガから、うやむやな形で受け取ったものを自分の中に落とし込んで違った形にして新たに生み出しているんだと思います。(中略)自分の中に影響を与えてくれた数々の断片の存在、それはストーリーや登場人物そのものというよりは、それを読んだことで生まれた自分の感情だったり、何か派生的なもののような気がします(31頁より引用)。

4章「わたしを虜にした2人のマンガ家」では手塚治虫吉田秋生(敬称略)があげられています。この章では吉田先生の作品でも『河よりも長くゆるやかに』 、『櫻の園』、『ラヴァーズキス』について触れられています。あさのさんは吉田先生のファンのようですね。

バナナフィッシュについては6章「最終回に望むこと」で語られています。そのあとに「先日、『NO.6』という、一つのシリーズの最終巻を書き上げたのですが、これも2人の少年の物語です。『BANANA FISH』の影響かどうかは自分でも分からないけれど」という文章から続き、NO.6 のラストについて触れています。この章では両作品のラストについて語られ、ネタバレ部分でした。

ハッキリと「オマージュ作品」と明言してはいませんが、バナナフィッシュの話題から直接に言及していることから、実際のところ影響は少なくなさそうです。

個人的バナナフィッシュアニメの印象

1話から観ているのですが、「英二さんはアニメ化にあたって可愛いキャラデザにされたパターンかな…」が第一印象。NO.6の紫苑も硬派なデザインの方がよかったと思っているのですよ。

ともあれ話には引き込まれましたね。細々した演出も素敵。脇役の魅力も大きいです。前期のed が好きすぎました。今期のopで中国風背景になる部分が凄くワクワクします(何故そこ⁉)。ただ「現代設定にする意味あった?」と感じるときがあり、登場する機器でやっと現代設定を思い出します。あまり現代感がないのに「中東」や「移民」といわれても…。アニメ化で現代にするなら全てを見直さないと妙な違和感が出てしまうと思います。


原作はベトナム戦争の余波、冷戦に新たな緊張が訪れ、双方の大規模軍備増強・第三世界への影響を競う時代ですよね。ベトナム戦争時期には南ベトナム政府要人が権力基盤としてヘロインを扱い、財を得ていたそう。精神的に苦しむ米軍兵士にも広がるが、販売阻止すると政権が崩壊する恐れがあるため、米政府は手を打てず、帰還兵により米国内にも薬物が蔓延したとか。

あとアメリカは無能力化剤(精神錯乱ガス)という科学兵器を第二次世界大戦後から開発していたようで、ベトナム戦争でも使用されたようです。この化学物質の症状が実にバナナフィッシュっぽいんですよね。リアルな幻覚、著しい精神異常とか…。


こういった背景が作品の一要素となっていると思いますが、実写で80年代アメリカの再現は相当難しいでしょう。そこでアニメの出番ですよ!当時の空気を体験しえない世代に対してもアニメで過去の作品の世界を余すことなく描いてほしかった」と感じます。

NO.6も同じノイタミナ枠で放映されたのですが、尺が足りなさすぎで駆け足どころではなかったので、バナナフィッシュはつつがなく完走してほしいです。NO.6と同様の事態になったら暴動が起きそう…。

両作品の共通点

全体としての人物の立ち位置

少年2人が主人公と準主人公(バナナ:アッシュ英二、6:紫苑ネズミ

争いや混沌を知らない少年と混乱の中に生き安息を求める少年が出逢うという意味では似ています。前者は英二と紫苑、後者はアッシュとネズミ。ただし6では紫苑、バナナではアッシュが主人公。お父さんポジションのおじさんが出てくるのも共通点?

名作文学をモチーフにしている点

バナナフィッシュはタイトル名にもなっているサリンジャーヘミングウェイ。バリバリのアメリカ文学ですね。

NO.6はネズミと紫苑の会話劇にシェイクスピアゲーテファウスト、ダンテの神曲ランボーetcが登場。各章の冒頭では古典文学引用、後半の巻になると文中の言葉から章タイトルが決まります。英・独・仏・中・露文学や神話が主で、米文学は登場しません(私がみた範囲では)。確かに紫苑とネズミにアメリカ感はないなあ…。

灰と夜明け

Ash は灰、本名 Aslan は夜明けの意味を持つと作中で明示されています。アスランに夜明けの意はないという説もあるそうですが。6のネズミは「夜が明ける寸前の空の艶やかな灰色」の瞳、紫苑の視点で再三描写されます。ちなみにネズミは本名ではなく、結局読者にも紫苑にも本名は明かされていないのです…。

アッシュとネズミと悪魔

2人とも見目が良く、自分の魅せかたが分かってますね。だからこそ時に計算高く切り抜けられます。作中、周囲の人物から悪魔になぞらえられる場面がありますが、強ち「悪魔」の比喩は間違っていないんじゃないかと思います。

その昔、キリスト教世界に悪魔概念が誕生したころ、画家たちの間では素晴らしく魅惑的な人物と醜悪な怪物の間で揺れていたといいます。前者の人物としての悪魔は「高貴で優美、魅惑的な美しさを持つ美青年」であり、6世紀やバロック期の17世紀に見られる表現だといいます。『悪魔の文化史』という本で偶然その記述を目にして「ネズミ…。」と思ってしまった私はかなりNO.6脳ですね。悪魔が醜悪な怪物のイメージを持つようになったのは東方民族との接触、政治的動乱から仮想敵=悪魔として責任を負わせる構造ができたからだそうです。ちなみに上述の『悪魔の文化史』、すっごく面白い本でした。

 

符合する点は上記以外にもあります。矯正施設と精神衛生センター、人体実験、キツネっぽい名の悪役、カプセルで手紙受け渡しetc…

全く違う印象を受けた点

2人の距離感・関係性

アニメで驚いたのが「アッシュの素直さ心の開きっぷり」。2人の別行動が多いのも意外。

対して6は四六時中一緒、でも本質的に相いれない部分がある2人。しょっちゅう、口論したり衝突したりと会話劇が魅力でもあります。穏やかな場面の数ページ後には剣呑な雰囲気になったりします。紫苑は善良に見えてぶっ飛んだ性格ですし、ネズミは不器用で気持ちの高低差があります。ネズミは少し月龍の感じがあると思ってます。

アッシュはストリートチルドレンのボスとして、ショーター等の心が開ける仲間がいてそれなりの信頼関係を構築してきましたが、ネズミは少なくとも4年間、「誰にも心を許すな」という信条を胸に抱いて一人で生活してきました。そこの違いなのかなと思います。

バナナの2人は「周囲の欲望や陰謀の渦中にいようとも光り輝く友情」という印象。単なる友情ではなく色々な情を内包している関係ですが、個人的に友情が一番しっくりきます。安らぎもある。

6は「互いに必要とし、互いを見て己を律するけれども、仄暗さを孕んだ関係」。美しさもあるのだけど張り詰めた糸を互いに引き合っているような、そんな緊張感と危うさがあります。常にいかなるシーンでも対等性への志向があるように感じます。

児童書(ティーン向け)で同性の絆は「友情」と描かれるのが無難だと思いますが、この二人に関しては驚くほどに作中で「友情」「友人」という言葉は使われていないのです。登場人物が少ないのもあって、他から俯瞰した二人があまり描かれないのも二人の関係が分からなくなるポイントなのかも…。

最終回後の展開でも、前者では2人の友情は永続的です。不変のものになりました。でも後者では敵になったり、見たくない相手の姿を見てしまう可能性があります。

敵の位置づけ

バナナでは2人(特にアッシュ)に執着してくる諸々の人物組織が敵です。互いに寄り添い、立ち向かうことができます。勿論一筋縄ではいかないのですけどね。
6ではNO.6(紫苑の出身地である理想都市)です。徹底した管理社会で相当の闇を内包する都市はネズミにとって紛うことなき敵、紫苑も不信感・憤りをもって捉えています。

でも紫苑は幼少期から12歳まで都市内部において一貫したエリート教育を受けており、NO.6そのものといえる面があります。既に1巻で4歳も年上の同僚に的確に指示を出す冷静さや拘束状態で政府高官に皮肉を飛ばせる図太さがあり、2人の関係の中でも紫苑は頭脳担当。

もし出逢わなかったら…という視点で見たとき、バナナの2人は無関係に近いけれども、6では衝突もしくはネズミ側からの復讐があったのではないかと思います。

紫苑とネズミが出逢い、かけがえのない相手になっていくけれど、この事実は2人の関係に影を落としている気がします。表裏の関係にある支配者と被支配者とも言えます。実際、ネズミは紫苑に対してかなり辛辣です。

主人公格2人と殺人行為

どちらの世界も犠牲者が出る世界観です。ただ、主人公格が人を殺すかという点ではかなり違います。バナナではアッシュが望まぬにもかかわらず、手を汚すことになります。そこが辛いポイントですね。

6のネズミは作中の殺人シーンは多くありません。皆無といってもいいです。過去の殺人行為の有無もはっきりとは書かれていません。反対に英二ポジションの紫苑が…。全巻を通してかなり印象的な部分でもあります。

最後に

両作品の考察という名目ですが、両作品を同視するものではありません。ただ符合する部分があること、オマージュ作品という情報が散見されることから、自分なりに書いてみた次第です。解釈や考察は各々異なり、両作品はその傾向が顕著でしょう。ラストを何年間も引きずっているという方も多いようです。

ネタバレ防止のため、曖昧にした部分もあるのですが、NO.6 はぜひ原作をお手に取ってみてください。私はアニメ放映後に、バナナフィッシュの原作を読んでみようかしらと思います。

追記:2019年1月

年内にアニメ放送が終わりましたね。最終話付近からアクセス数が増えて驚き…。個人的には良い最終話でした。ラストの展開の賛否云々は置いておいて、燃える熱い展開からの静かな幕切れ。全キャラクターをちょっと好きになった最終話でもありました。実は私はメインよりも脇役の方がかなり好きなのですよ。1番は月龍、マックスやジェシカ、伊部さん、所業は最悪だけどゴルツィネあたりですかね。我ながら統一感がなさ過ぎて謎です…。そして私は主人公とその近辺が「好き!」にならないと、「おもしろいなあ、普通に好きかな」でとどまってしまうのです。端的にいうとバナナフィッシュという作品は好きだけども、引きずる感じにはならなかったということです。あ、原作を読んだらどうなるか分からないですが…。

元の作品と影響を受けて出来上がった作品、似てる部分が沢山あっても作り手や時代が違えば全然違うものになる。それこそが創作というものの妙であり面白さだと思いました。勿論作り手だけでなく、受け取る側の好みもある。BANANA FISH と NO.6 の関連性は今回のアニメ化で知った方も多いのかもしれません。作品を味わうにあたって、そういった前情報にとらわれすぎないありのままの受け取り方や作品の感じ方が大切、世の中に数多ある作品のそれぞれが唯一無二と感じた経験でした。

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

 

にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村