六等星の瞬き

ひっそりと本(児童書)について書きます。たまに雑記も。

アニメ版 NO.6の功罪② 原作との比較【ネタバレ注意】

この記事はアニメ版『NO.6』(原作:あさのあつこ)について書いたものです。アニメと原作の客観的相違点については、①の記事で書きましたので、今回は主観的に好きな部分、少し残念に思う部分をまとめております。それにしても、かれこれ8年近く前の深夜アニメについての文章なんてマニアックすぎる…。

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2011年夏にフジテレビのノイタミナ枠で放送されたアニメ版NO.6(ナンバーシックス)。深夜アニメとしては比較的有名かつメジャーな作品を送り出している枠なので、NO.6の場合もアニメ化でかなり知名度が上がったのではないでしょうか。

しかし全9巻の小説を11話のテレビ放送にまとめるという、強行スケジュールです!そのため沢山のカットや改変(時に物語の根幹や本筋も)があり、原作ファンにとっては手放しにお勧めできないものとなっているのは否めません。それで、なんとも偉そうなタイトルをこの記事につけてしまいました(アニメ版 NO.6の功罪①【ネタバレ注意】 - 六等星の瞬きより)。

残念な点

一番残念なのは死なないはずの主人公の死→蘇生、都市再建に関わらないかも?という部分ですが、原作とアニメでは物語の解釈自体も異なるのではないかと思います。

原作イメージとの相違(もう少し寄せても良かったのでは…?)

紫苑とネズミはもう少し硬派で神経質な雰囲気が欲しかったような…。12歳時の紫苑とネズミの方が自分のイメージに近いかも。個人的にネズミは短髪・長髪の違いよりも、体格が気になります。二人とも16歳ですよ!しかもお互い華奢で背はネズミの方が高いという程度。原案の方の絵は雰囲気がとっても好きです。完全原作準拠ビジュアルでも見てみたいなあ…。あとイヴが女装だったのは驚きました。

小説の強みは自分で人物のイメージを構築できるところ。だから映像化にあたって万人にとって正解のビジュアルはないので、難しいですね。特にNO.6は原作に挿絵がなく、イメージグラフィックを使用している独自路線の児童書。それに加えてあさのあつこの文章で描写されたら想像は無限に広がりますよね。普通の情景描写でも、常人には思いつかないような視点の一文を入れてくるのに痺れます。

「功罪」という点では、「アニメビジュアルが一般に流布しすぎたこと」だと思います。原作沿いストーリーの漫画や原作の児童書レーベル(YA!エンターテインメント)の公式ガイドブックまでアニメ版ビジュアルにしなくても…。

原作の文章で書かれた情報に基づいたイメージを持っていた読者に手厳しくないですか…? アニメのデザインの好き・嫌い関係なく、すべての媒体で統一されたのが残念です。

(アニメの)紫苑が可愛すぎる

原作紫苑は序盤から割とぶっ飛んだ人物で、したたかさがある。でもアニメの紫苑は結構可愛いデザイン。全身の赤痣ももう少し隠微な雰囲気でいいような気がします。12歳の紫苑のビジュアルは好奇心と生意気さが旺盛な感じがして好きです。

そして心情描写がないので内面が伝わりにくいんですよね。例えば窓を開け放った動機(1巻)、エリート層から没落し思うままに学べなくなった時の気持ち(1巻)、治安局へ連行されながらも皮肉を飛ばす(1巻)、力河さんにコートを買ってもらうシーン(3巻)等では、頭の中で色んなことを巡らせていて、ただの天然なおぼっちゃんでないと感じます。何度読んでも紫苑は興味深い主人公ですね。

都市「NO.6」の位置づけ(考察)

映像媒体での表現なので仕方ないのですが、アニメはNO.6=悪という割り切りが大きいように思います。国家という漠然とした巨悪を2人の少年に対峙させる構図が見えます。確かにネズミにとってはNO.6は憎むべき敵ですが、紫苑にとっては簡単に割り切れるものではありません。幼少期から都市のエリートとして生きてきたことでNO.6流の考え方が染みついている部分があります。

原作でも都市は極悪非道な性格を持ちますが、一概に悪とは言い切れないと思います。「なかなか良いんじゃないの…?」と思うところもあります。結婚に関わる諸制度とか…。悪というよりも、合理化が行き過ぎた果てという感じがします。

主題は都市(国家)は個人が集まって作るものであり、最初は理想に燃えていた、どこで道を違えたのかだと思います。

アニメ7話の「きみに出逢えてよかった。きみに出逢わなかったら無関心で鈍感でただ従順なだけの大人になってた」という台詞。原作3巻では「冷静で温和で従順なだけの大人」。特に冷静、温和は単体では欠点ではなく美徳です。原作を読みながら「この3拍子が揃って、かつ思考停止してしまったのがNO.6の民なんだなあ、深いなあ」と感じたので印象に残っていました

原作では都市側の人間が名前付きで登場し、敵としての人物でも「エリートだけど、本当はどこかずれた人なのかも」という人間味を感じさせる部分があります。都市内では「物思いにふけること」や「夢想すること」は欠点とみなされます。都市側の人間でも内にそうした傾向を秘めている人物を意図的に描いているような気がします。

例えば、アニメにも登場するけど名無し or 改変されている原作の人物だと…

富良:西ブロックの木製ドアをみて「品の良い老婦人のよう」、夢想癖、獣の匂いに興奮。

羅史:物語の中でも悪役っぽい。登場は多くないけど強烈な印象。あのシーンですね。問答無用で二人を殺さずに、再会して喋りまくる。心なしか嬉しそうなのは気のせい?

読者サイドにいる主人公の紫苑は天然で誰にでも分け隔てない人物として描かれていますが、NO.6と紙一重の危うさを内包しています。7巻で紫苑は切羽詰まった状況で冷静な自分自身に対して、「冷静から想いや感情が欠落してしまえば、ただ冷酷なだけの者になってしまう」という危惧を抱いています。

主人公(紫苑)と敵組(NO.6の幹部たち)の対比は後半に行くほど顕著になってきます。たとえば紫苑が人を殺してしまうシーン(原作7巻)。アニメではネズミを守るため、咄嗟に銃の引き金を引いた印象を受けます。しかし原作ではわざと急所を外して撃ったのち、市によって無慈悲に命を奪われた人の怒りを込めながら冷静にとどめをさします。

単に尺の都合の改変かもしれませんが、原作での紫苑の行動は正当な理由があったとしても、冷静に人を傷つけることができてしまう(NO.6そのもの)ことを物語っていると思います。そもそも行為に「正当な理由」をつけることがNO.6の価値観といえるのかもしれません。ネズミは相手を楽にするための安楽死でも、「殺人」と言い切っています(5巻2章 奈落にあるもの)。このシーンは自分の思想に切り込んでこられたようでドキッとしました。

沙布関連

アニメは沙布の登場が多いけど、原作は物理面・精神面ともに過酷で登場も多くない。でも鮮烈な印象を残す台詞やシーンが多くある。紫苑に対する気持ちや行動に凛とした強さがあって聡明。女性が描くからこそ、児童書だからこその良さがあるヒロイン。決して紫苑とネズミの引き立て役ではない、そう思います。原作2巻の火藍との会話シーンや8巻の心情描写部分のカットが惜しい…。沙布の心情描写と一人称語りが凄く良いのになあ。

重点の置き方

個人的にこの話は「誰かが誰かを強く求める、想うようになる」部分が大きいと思います。それはメイン2人に限らず、イヌカシや力河さん、沙布、火藍やその他のちょっとした登場人物に至るまで。

人々が希求するささやかな幸福が都市、取り巻く環境によって潰えていく様が物凄く切なくて心に刺さるのです。そこをアニメでも描いてほしかったです。尺の問題があったけど、脇の人たちの名無し化やカットの多さが勿体ないです。少ない尺の大部分がメイン2人だし、ちょっと狙った感じもある。そこが残念に思うところです。

好きな点

嵐の夜の出逢いと灰色の躍動する瞳

アニメの1話は本当に良いですね。特に「動くな」から「これがナイフなら~」までの動きと声、灰色の生き生きと躍動する瞳。小学校の時に原作を読みながら思い描いたそのままのシーンで「アニメってすごいな」と思いました。ネズミの瞳は全編通して本当に綺麗でした…!

静謐で閉鎖的な雰囲気

独特な雰囲気がありますね。他のアニメではあまりない空気が漂っている感じ。声優さんの演技がよいのもあるかもしれません。紫苑とネズミは今ではかなり売れっ子の梶裕貴さんと細谷佳正さん。当時は今ほど有名ではなかったようですが、声優さんに全然詳しくない自分でも惹かれる演技。

個人的に細谷さんは声と間、ニュアンスが好き。原作ネズミの芝居めいた色々な声音も聞いてみたかった…。梶さんは爽やか主人公声ですが、嘔吐・叫び・後半の低いトーンと、真に迫るものがありますね。沙布の安野希世乃さん、芯のある声が絶妙ですね。アニメオリジナルで風のレクイエム(沙布ver)が聴けたのは良かったです。力河さんやイヌカシも含め、原作を読みながらビジュアルは自分基準で想像しているけれど、声はアニメキャストのイメージが強めです。

「六等星の夜(アニメED,Aimer のデビュー曲)」と真の結末の暗示

曲調も歌手の声も良い!普遍的に訴えかけるような素敵さがありながらも、タイアップの作品テーマに特化したメッセージが読み取れるところが好きです。

六等星というのは肉眼で見える一番かすかな淡い星。その百倍の光度を持つのが一等星。全天一明るく輝く冬の夜のシリウスが有名(-1.5等星で一等星より明るい)

都会では街の灯に邪魔されて、一等星やニ等星のごく明るい星しかとらえられません。「光にまみれて遠く輝く」「光に彩られた都市」(原作1巻5章 光をまとう街)である NO.6 内では六等星は見えないでしょう。存在すら分からない。

西ブロックに逃れてきて初めて意識できるものがある。闇などの自然に限らず、今まで紫苑が知ろうとしなかった or 知る必要がなかった真実や感情など…。六等星という言葉には様々な意味が含まれている気がします。

 

何より歌詞がアニメで描かれなかったその後を表しているようで…。

嘘をつかないネズミの「再会を必ず」があるとはいえ、「紫苑とネズミの幸せな再会はない、敵として相対するかも」というのが私のイメージ。何通りもの予想ができる物語のその後ですが、「再会できる」派の人からしても、多分16歳の二人がNO.6という都市と対峙しながら暮らした地下室の暮らしは二度と戻らないものなのではないでしょうか。

想いはずっと届かないまま 今日も冷たい街でひとり
ここが何処かも思い出せない

終わらない夜に願いはひとつ‟星のない空に輝く光を”
戻れない場所に捨てたものでさえ生まれ変わって明日をきっと照らす
星屑のなかであなたに出会えた いつかの気持ちのまま会えたらよかった
戻らない過去に泣いたことでさえ生まれ変わって明日をきっと照らしてくれる

星屑のなかで出会えた奇跡が人ゴミのなかにまた見えなくなる
戻らない過去に泣いた夜たちに告げるサヨナラ 明日はきっと輝けるように(歌詞より一部抜粋)

外伝作品『 beyond』 のイメージソングです(勝手に)。上記の抜粋部分は個人的に今後の紫苑だと感じます。歌詞の中の「生まれ変わって」、「明日」という部分はその後の「照らす」や「輝く」にかかっているので一見、希望を感じます。でも生まれ変わった未来でしか光は現れない、現世では幸せになれないという見方もできる気がします。ずっと星のない空の下で生きるしかない。

9巻のラストで2人は死ぬこともなく、別の道を歩みだす。希望に満ちているようでしたが、外伝で雲行きが…。紫苑にとっては都市崩壊後が、まさしく茨の道であり戦いの始まりなんです。紫苑は色々な業を背負いすぎてしまいました。そういう風にこの作品を捉えたときから、私は『NO.6』の物語に魅了されました。別記事にも書きましたが「悪い国家を倒してハッピーエンド!」ではないところが、この物語の最大の魅力だと思っています。

カップリングの「悲しみはオーロラに」もつめたい孤独感があって素敵。「六等星の夜 Magic blue ver 」は、より伴奏が抑えられていて切なさ倍増です。

最後に

またもや方向性が良く分からない締め方になりました。タイトルのアニメ・原作比較からエンディング曲まで、今回はいつにもまして自分の好みが出ているようで気恥ずかしいのですが…。

前後半に分けて色々と書いてしまいましたが、アニメが好きな方も、原作が好きな方も、漫画が好きな方もそれぞれの媒体ならではの良さを感じられれば良いと思います。この作品に関しては良くも悪くもそれぞれが別物で、同じ作品の補完と考えてしまうと十分に味わえない気がします。意識を180度切り替えるくらいの感覚で読む(観る)のが良いのではないでしょうか。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

 

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