『幸福な王子』だけじゃない「オスカーワイルド」の魅力【英文学】
童話『幸福な王子』*1の作者、オスカーワイルド(1954~1900)の作品には童話作品のほかに刺激的かつ耽美な作風のものもあります。その生涯も波乱に満ちたものでした。『幸福な王子』をはじめとした童話文学とそれ以外の文学では全く違った雰囲気があります。
サクサク読めるけれど含みのある短編から、劇的なクライマックスが醍醐味の長編まで、個人的おすすめ作品について書いています。
作家の人物像や生涯についてはこのサイトが面白かったですよ!
実際に読んで面白かった作品をピックアップ。多様な作風のものを4選。
順番に特に意味はありません。作品ごとに私の書き方と文体等が異なるのはご愛嬌。若干ネタバレしているので気を付けて下さい。でもネタバレくらいで面白さは損なわれないと思います。一応自分が読んだ版の出典元を記載しています。
ドリアン・グレイの肖像
ワイルドの長編文学としては代表作とされている作品かもしれません。下記のあらすじを読んで「面白そう!」と思った方!読んで損はないハズです。
あらすじ
舞台はロンドンのサロンと阿片窟。美貌の青年モデル、ドリアンは快楽主義者ヘンリー卿の感化で背徳の生活を享楽するが、彼の重ねる罪悪はすべてその肖像に現われ、いつしか醜い姿に変り果て、慚愧と焦燥に耐えかねた彼は自分の肖像にナイフを突き刺す…。快楽主義を実践し、堕落と悪行の末に破滅する美青年とその画像との二重生活が奏でる耽美と異端の一大交響楽(新潮文庫版背表紙紹介文より)。
ひとこと
長編なのですが、息つくことなく夢中で読みました。
客観的に見れば「破滅」なのですが、自分の肖像にナイフを突き立てるとき、ドリアンは自身の自由と平和を確信していたんです。死に至る苦痛が描かれず劇的な幕切れのラスト。想像力を掻き立てられ、一種の清々しささえ感じます。しかし後に残るのは完璧に浄化された肖像画と老けやつれた本人の遺体のみ。でも若いまま、一瞬の苦しみで死に至ることができたドリアンはある意味幸せなのかもしれません。
本作の「悲劇」は「いつまでも若くいたい」という老いることへの恐怖からの逃避、それが根底にあると思います。本作の場合、自分が老いることではなく、美しく崇高なものが老いによって損なわれることへの恐怖が強いと思いますが。本作の展開から「若さにこだわって悪徳の道に落ちる、人間とは愚かなものだ」という教訓を見出すことができるのかもしれません。
それでも個人的に、若さは一つの価値だと思います。歳を重ねることでの成熟もあるだろうし、人間は自然の摂理に従って自然に歳を重ねるのが一番だと頭では分かっているんです。それでも若く瑞々しい美しさは、男女問わず普遍の価値のひとつじゃないですか?
その感覚が「輝ける青春」と呼ばれるほどの美貌を持つドリアンを通して生々しく描かれ、劇的な展開に夢中になる一冊。
19世紀英国が舞台ですが、随所に日本や支那(訳文ママ)の芸術作品の描写があるのが興味深いです。本筋以外の細部にも注目ですよ。
翻訳:福田恒存
アマゾンの画像ではシンプルな表紙ですが、現在出回っている新潮社版は素敵な装丁だと思います。お洒落。
↓別の作品の表紙ですが、雰囲気は同じ感じ。サロメも有名。劇作品になることも多いです。
ナイチンゲールと薔薇(小夜啼き鳥と薔薇)
短編のなかでは一番好きですね。登場人物は若い青年と小鳥のナイチンゲール。ナイチンゲール*2(日本訳:小夜啼鳥さよなきどり)はとても美しい鳴き声が特徴で「西洋のウグイス」といわれるんだとか。「さよなきどり」の語感が素敵です。
あらすじ(要約)
青年はとある娘に恋をする。裕福な家の娘とは身分違いの恋だった。そんな折、舞踏会が開かれることになり、青年は娘に踊りの相手を申し込んだ。「赤い薔薇を持ってきたら相手になってあげる」という返答を聞いた青年は赤い薔薇を探す。しかし季節は冬、薔薇など見当たらない。「ああ、赤い薔薇さえ見つかれば…」、悲嘆にくれる青年。そんな様子を見ていたナイチンゲールは青年のために赤い薔薇を探そうと決心する。薔薇の木を探して赤い薔薇かどうか尋ねるが見つからない。近辺には赤い薔薇の木は無かったのだ。
しかし舞踏会の朝、青年は自分の家の庭の薔薇の木に真っ赤な花が咲いているのを目にする。花束を作って喜び勇んで舞踏会へ。だが娘は別の男性を伴っていた。娘は宝石をプレゼントしてくれた男性と婚約を決めていたのだ。帰り道、恋敗れた青年は薔薇の花束を道脇へ投げ捨ててしまう。
その薔薇は特別に赤く、深紅の輝きを放っていた。まるで血塗られたように…。
ひとこと
さて、ナイチンゲールはどうなったのでしょう? 本作は童話作品なのですが、救いようのなく美しい不条理劇ですね。「青年と小鳥の物語」という点は『幸福な王子』と共通していますが、その構図は正反対で対比されているのかな?と思ったりします。心を持たないはずの銅像である『幸福な王子』が慈悲深いのに対し、人間の青年の方がやや軽薄なのは皮肉ですね。
翻訳:小尾芙佐
童話の短編集ですが、大人向け感もあるビターな話が多いです。
カンタヴィルの幽霊
超おすすめ。英国の屋敷に越してきたアメリカ大使の一家と屋敷に住み着く幽霊の話。いわくつきの屋敷に長年住みつく幽霊(怨霊)は代々の住人たちを恐怖の底に突き落としてきた。様々な逸話を持ついわばプロの怨霊。
おどろおどろしさ満載…かと思いきや、程よいコメディ調でクスッと笑える。今回の住人であるアメリカ大使一家は幽霊におびえてくれません。両者のドタバタ攻防戦。焦る最恐の幽霊さん、妙に可愛くて面白い。展開が面白く、予測できない。オスカーワイルドらしからぬ爽やかさがツボ。
英国の屋敷にアメリカ人が越してきた、という設定が面白いポイントですね。1887年当時の英国本土のアメリカに対する意識がうかがい知れます。ブリティッシュジョークが効いています。アメリカ人たち、彼らは合理主義者なので幽霊が残した血痕を最新の技術のシミ抜きで抜こうとしたりします(笑)。
翻訳:福田恒存
私が読んだのは中公文庫版。5篇の短編集の中の収録です。個人的には表題の『アーサー卿の犯罪』があまり好みでなく、そのほかの作品はとても好きでした。様々なタイプの話が収録されています。ただ、どうも絶版みたいなので図書館等で見つけたらお手に取ってみてください。
翻訳:南條 竹則
今、手軽に読めるのはこれかな?読んでないので文体とかは分からないのですが…。
W・H氏の肖像
シェイクスピアのソネット集*3を主題にした作品。詩の100編あまりはシェイクスピアが熱烈に思慕を寄せていた男性にあてて書かれているといわれ、ミスターW・Hに関しては諸説あり、有力なのはW・H・サザンプトン伯*4のようです。
この作品はW・H氏=ウィリー・ヒューズ説に駆り立てられた男とその友人の物語。舞台は現代(19世紀)。友人の視点からの回顧録としての入れ子式の語りで話が進む。
ウィリー・ヒューズというのは当時の少年俳優。エリザベス朝演劇の時代、女性は舞台に立てなかったので、数々の作品のヒロインたちは少年が演じていたといいます。その中でも特段素晴らしい少年俳優がウィリー・ヒューズ。
ソネット集を読み込んでいたというワイルドは小説の中で文を引用しています。小説の登場人物たちはその文を考察・検討するわけです。ちょっとした学術書を読んでいる気分になり、充足感がありました。
とはいっても小難しい話ではなくて、面白いミステリー物といった雰囲気があります。展開が凄く好き。読者として騙されました。ラスト近辺、語り手の行動にすごく共感しました。突然熱烈になったり、突然冷めてしまったり、そのあたりの不実さが心地いいですね。人間はそこまで合理的な生き物ではないと思うのです…。
W・H氏=ウィリー・ヒューズ説に関しては論理的な裏付けがあるわけでないそうですが、シェイクスピア作品に関する豆知識を知ることができます。下記の中公文庫版だと翻訳者が福田恒存さん*5なので、シェイクスピア関連の話にピッタリです。「へえ!」と感じる部分が沢山ありますね。
数々の優れた作品を残したシェイクスピアですが、「舞台とは虚構の世界」という意識も強かったようで、本作で扱われるソネット集のなかにもそんな寂寥を匂わせる部分がありました。舞台というのは夢になけなしの現実感を添えて視覚的に訴えかける装置でしかないのかもしれません。実体のない「影」というのは舞台専門用語としての意味を持つそうです。
マクベスの有名な台詞「消えろ消えろつかの間の灯火!人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。哀れな役者だ」。私はずっと、この「影」を比喩的な装飾表現だと思っていたのですが、実にそのまんまの意味だったんですね。
『カンタヴィルの幽霊』と同じ短編集に収録。
翻訳:井村君江
最後に
シェイクピアの翻訳を読んで福田恆存さんの文章にハマっていたころ、軽いノリで読んだドリアングレイの肖像でオスカーワイルドが好きになりました。幼いころ『幸福な王子』の話があまり好きではなかったのですが、そのイメージが変わりました。
時を置いて別の話を読むと、感じ方が変わる。本との出会いの醍醐味ですね。
海外文学に関しては、自分の好きな翻訳者の文章で選ぶのがいいと思います。福田恒存さんは大正元年生まれで、格調高い文は読んでいて高揚します。そうはいっても、自分は原語の文章に精通しているわけでもなんでもありませんので、「日本語として好き!」という基準で選んでいるだけなのですが。
語学が堪能な方はぜひ原文で読んでみて下さい。原文を図書館でちらっと見たことがあるのですが、難しい単語や文法が頻発する…といった感じではなかったです。19世紀の英語なので比較的馴染みやすいのではないでしょうか。
お読みいただきありがとうございました。